奥の細道 那須 殺生石
鹿の湯
千三百年続く静寂と癒しの湯。
那須湯本温泉のシンボル的存在の共同浴場
殺生石園地
盲蛇石
昔々のある冬のこと、この地で五左衛門という男が盲目の大蛇と出会いました。
彼は、蛇が厳しい冬は越せないだろうと気の毒に思いススキと小枝で小屋を作ってあげました。
翌春、小屋を訪れると蛇の姿がなく、輝く湯の花があるばかりでした。
その後、湯の花の作り方は村中に広まり、人々は蛇への感謝の意を込めて、蛇の首に似たこの石を"盲蛇石"と名付け大切にしたということです。(説明板より)
教伝地蔵
写真の一番右の地蔵が古い地蔵。
大きい地蔵とその前の小さい地蔵は昭和のもの。
その小さい地蔵が千体までになった。(千体地蔵)
千体地蔵
石の香や夏草赤く露暑し
ここからは有毒ガスが噴出している。緑したたるはずの夏草が赤く枯れ、涼しいはずの露が熱く沸騰している。
那須温泉神社
湯をむすぶ誓ひも同じ石清水
ここは那須湯本の温泉大明神。京都の石清水八幡宮が合祀されているので、ここに参詣し、その社殿の湯を手ですくうと、両神社にお参りしたことになるという。これは湯が結ぶ縁である。
芭蕉の順路で見てきました。
奥の細道 黒羽2・芦野・雲巌寺
黒羽2 修験光明寺の跡
夏山に足駄を拝む首途哉
光明寺には役の行者のものと伝えられる下駄が安置されている。その下駄を拝むことで遥かな奥州への旅の無事をも祈っている。
修験光明寺の跡は句碑「夏山に足駄を拝む首途かな」だけが残る。
芦野 遊行柳
遊行柳は、奥州街道の宿駅として栄えた那須町芦野にある。室町時代、時宗19代尊酷上人がこの地を訪れた際、柳の精の老翁を念仏で成仏させたという宗教上の伝説発祥の地。
田一枚植えて立ち去る柳かな
早乙女たちは一枚の田んぼを植え終え田を立ち去ったので芭蕉一行もこの場を立ち去った。
雲巌寺
八溝山地のふところ深く、清らかな渓流に沿う境地に雲巌寺がある。
木啄も庵はやぶらず夏木立
夏木立の中に静かな庵が建っている。さすがの啄木鳥も、この静けさを破りたくないと考えてか、この庵だけはつつかないようだ。
奥の細道 黒羽・芭蕉公園
大雄寺から芭蕉の広場の間
出立の地千住での初句行春や鳥啼き魚の目は泪の句碑
横に満開のアジサイ
黒羽の館代浄法寺なにがしの家(桃雪)を訪ねる
山も庭もうごき入るや夏座敷
秋鴉主人の屋敷に来て見ると裏山も庭もみな青々としてまるで、この座敷に溢れ込んでくるような感じがする。佳景に対す賛美の句。
鶴鳴や其声に芭蕉やれぬべし
この絵の中の鶴は滅多には鳴かないだろうが、もし一度鶴の一声を発したならこの芭蕉の葉はすっかり破れてしまうであろう。
田や麦や中にも夏のほとゝぎす
緑の田と黄ばんだ麦畑が目に入る景色の中で、ホトトギスの声が夏の気配を彩っている
浄法寺桃雪邸跡にある句碑
雨はれて栗の花咲跡見かな 桃雪
いづれの草に啼おつる蝉 等躬
夕食くう賤が外面に月出て 翁
秋来にけりと布たぐる也 曾良
奥の細道 日光
あらたふと青葉若葉の日の光
なんと尊いことだろう日光山は。新緑に埋もれる木の下闇まで燦 々と日の光が射している。これは、弘法大師さまと東照宮さまのおかげだ
日光東照宮宝物館脇の句碑
世界遺産「日光の2社1寺」(せかいいさん「にっこう2しゃ1じ」)
二荒山神社(ふたらさん じんじゃ)、日光東照宮(にっこう とうしょうぐう)、日光山輪王寺(りんのうじ)を見学。
神橋
神橋手前の板垣退助像です。
二荒山神社
日光東照宮
石鳥居からの五重塔です。
石鳥居は、黒田 長政からの奉納品で福岡から石15個を持ってきたそうです。
日光山輪王寺
平日でも、多くの外国からの観光客とお子様の遠足、修学旅行団体様でした。